しづか楼の初代女将しづ子(写真)は明治29年に堅田の老舗旅館”伊勢屋”の娘として生を受け、若い頃よりお座敷に出ておもてなし上手の名物女将であった。
また、昔の新聞に紹介されているように、ある時遊説に来た犬養毅や尾崎行雄に一筆書いてもらったという、鉄の心臓の持ち主であった。
分家である”しづか楼”も創業約100年、今は無き本家にかわって湖国郷土料理の味を受け継ぎ、次世代に伝えていく役割があると思っています。
より一層の精進を重ねてまいります。
益々のご指導、ご鞭撻、ご愛顧の程、宜しくお願い申し上げます。
昭和初期のしづか楼。当時は小さな桟橋がありそこから舟に乗ることも出来た。
またポンプがあって飲料水としたり、洗い場もあった。二階からは比良山が一望できた。
お座敷や広縁からはどこまでも広がっている静かな内湖を、また石燈籠と手入れの行き届いた日本庭園には樹齢70年以上の美しい
松を眺めることができる。
1912年 兵庫県豊岡市に生まれる
1998年 大津・堅田にて死去(86歳)
晩年、堅田で住まわれ、死の直前に2階で最後の書展を開いた。子龍先生ゆかりの店。
三代目が師事した書家、しずか楼の屋号を揮毫した。
森田先生は店の看板字など書かれたことが無い。むづかしい先生に誰も頼んだ人もありません。
しづか楼は古くから湖上交通の要衝として栄え、今なお港町・漁師町の風情が残る一角にあります。
昭和初期に料理旅館として創業し、秋・冬は本鴨や本もろこ、春・夏は天然の鮎や地うなぎ・ビワマスなど湖国の味をお楽しみいただいております。
初代女将が伊勢屋から独立した時に、自分の名前「しづこ」にちなみ、店名を「志津可」と名付けた。
時を経て現在の「しづか楼」となった。
明治の半ば、湖国随一の旅館として誉れの高かった旅館『伊勢屋』の流れを汲む、由緒正しき料亭である。
(中略)季節が変わる度にこの店を訪れ、いかに近江の国に旨いものがたくさんあるかを教わった店である。
※「京都冬のむくもり」柏井壽(かしわい ひさし)光文社新書より
高浜虚子(俳人)、岸田今日子(女優)、吉屋信子(作家)、段田安則(俳優)、水上勉(作家)、初代・若乃花(横綱)、今森光彦(写真家)
ジョン・チャヌ(ヴァイオニスト)、
下村良之助(画家)、森田子龍(書家)、藤原雄(陶芸家)、今岡徳夫(書家)、ブライアン・ウィリアムズ(画家)、辻太(書家) 他、多数・・・。
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